2008年9月15日月曜日

敬老の日に

ハッピーマンデーになってから、いまいちピンとこなかった敬老の日。
昭和の人間としては、今年のように9月15日が敬老の日だと落ち着きます(笑)
とは言っても、私の場合、祖父・祖母は4人ともとっくの昔に他界していて、「長生きしてね!」と祝う相手がいないんですけどね。

そこで、高齢化社会について考えてみました。
年金や医療制度、介護問題など、問題は山積していると思いますが、私が一番心を痛めているのが「孤独なお年寄り」が多いということです。
孤独・・・と聞くと一人暮らしの方を想像しますが、真の孤独は違います。
家族と一緒に住んでいるのに孤独な方が多いというのです。
同じ屋根の下に住んでいながら、話をしない、一緒に食事をしない。ひどい家庭になると、無視したり邪魔者扱いしたりするそうです。
最悪のケースが虐待です。絶対許されません。

今のお年寄りの方々は、子供・青春時代に戦争を体験し、焼け野原になった日本を今のような平和で豊かな国に築きあげた方々です。
自分のことより妻や夫のため、子供のため、親のために必死になって頑張ってきた方々です。
そして、この年代の方々は我慢強い。自分の苦労や弱音を口にしません。それが古き良き日本の美徳でしたからね。
でも、それがお年寄りの虐待問題を潜在化させているようにも思います。

そういう風に考えて、お年寄りの方々に接すると、私は自然に頭が下がります。感謝の気持ちでいっぱいになります。これまでの苦労をねぎらってあげたいと思います。助けてあげたいと思います。
全ての人が人生の最後を心豊かに迎えられるように、お年寄りを大切にしたいと思います。

道徳教育を通して、敬老の精神をもった人間を育てていきたいと思います。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

そうですよね。絶望の中から光を見出しながら、
先の世代のために激動の時代を生き抜いた人たちだと思います。
我々が小さい頃は、祖父母に生意気な口をきいたら、親父にぶっ叩かれていました。

おふくろは、実の祖父母とは言え本当に最後まで一生懸命親を見ていました。
もしかしたら、こんな背中を見ながら敬老精神が身につくのではないでしょうか?

私もこの記事に全面的に賛成です。

junchan さんのコメント...

はりねずみさんへ

敬老精神がなくなってきたのは、核家族化の弊害かもしれませんね。
あとは、アメリカの真似をした半端な個人主義教育も良くなかったのでは?と思います。
今自分が生きていられるのは先人たちのおかげだという、歴史や命のつながりを再認識する必要があると思います。